奥村 土牛(おくむら とぎゅう)
1889年〈明治22年〉2月18日 - 1990年〈平成2年〉9月25日
●近代日本画の巨匠、奥村土牛の作品を紹介しております
弊廊は〈常設展〉時には「奥村土牛作品室」として作品を展示・紹介しています
奥村土牛作品に関しましてはお気軽にお問い合わせ下さい
●奥村土牛 年譜 -biography-
明治
22年(1889)
2月18日東京市京橋区(現東京都中央区)に生まれる。本名義三
32年(1899)
日本橋区城東尋常小学校を卒業、高等科に進学するも、病弱の為一年あまりで中退する。
38年(1905)
梶田半古の門に入り、以来、先輩小林古径の指導を受ける。
大正
6年(1917)
父・金次郎の営む朝陽舎書店より、木版の『スケッチそのをりをり』刊行に際し、父が寒山詩の中から『土牛』という雅号をつける。
9年(1920)
小林古径が馬込(現大田区)に建てた画室に留守居役を兼ねて住む。
12年(1923)
前年、父が脳溢血で倒れ、一家の家計を支えることになる。九月の関東大震災により、京橋から下高井戸に移転する。
15年(1926)
五月、第一回聖徳太子奉讃展に『牛』を出品。古径の紹介で速水御舟の研究会に出席する。
昭和
2年(1927)
九月、第十四回院展に『胡瓜畑』が初入選する。
4年(1929)
十一月、古径の媒酌で森仁子と結婚、麻布市兵衛町(現港区)に住む。
7年(1932)
六月、日本美術院同人に推挙される。
10年(1935)
十月、帝国美術学校(現武蔵野美術大学)日本画科の教授となる。
11年(1936)
二月、第一回帝国美術院展覧会に『鴨』を出品、推奨第一位となる。
12年(1937)
三月、父・金次郎死去(享年七十七歳)。
13年(1938)
この頃より酒井三良と取材旅行を始める。初めは福島から青森へ行く。
15年(1940)
一月、風邪から肺炎を併発、臥床半年に及ぶ。
19年(1944)
六月、東京美術学校(現東京藝術大学)の講師となる。
20年(1945)
二月、母・たま没(享年八十三歳)。五月空襲により家が焼失。長野県南佐久郡臼田町に疎開する。
22年(1947)
四月、帝国美術院(十二月に日本美術院と改称)会員に選出される。
23年(1948)
武蔵野美術大学の講師となる。
26年(1951)
十一月、疎開先から帰京、杉並区永福町の住居に移る。十二月、東京藝術大学講師を辞して武蔵野美術大学日本画科の教授となる(41年に辞任)。
28年(1953)
三月、多摩美術大学日本画科の教授となる(41年に辞任)。
29年(1954)
十二月、奥村土牛展(日本橋・三越)開催、近作と素描を出品する。
31年(1956)
七月、奥村土牛素描展(銀座・松屋)が開かれ、素描34点を出品。
33年(1958)
二月、横山大観没、五月、日本美術院の組織が財団法人に改められ、監事・評議員となる。翌34年一月に理事となる。
35年(1960)
五月、奥村土牛自薦展(銀座・松屋)が開催され、47点出品。
37年(1962)
十一月、文化勲章を授与される。
38年(1963)
九月、奥村土牛自薦小品展(酒田・本間美術館)が開催され、作品19点、素描6点出品。
42年(1967)
一月から朝日新聞に連載された大仏次郎作『天皇の世紀』の挿画の一部を担当執筆する。
43年(1968)
五月、素描集の出版を記念して奥村土牛素描展(日本橋・三越)が開催。素描約60点出品。
45年(1970)
十月、奥村土牛自薦展(秋田市美術館)が開催され、作品12点、素描10点出品。
46年(1971)
春の院展制作後、狭心症と前立腺肥大の疾病のため秋の院展は休筆。十一月、奥村土牛自薦展(横浜・高島屋)開催され、作品45点出品。
47年(1972)
十一月、奥村土牛新作展(日本橋・三越)開催され、7点出品。
48年(1973)
五月、奥村土牛展(渋谷・東急百貨店)開催され、作品75点、素描10点出品。九月十一日から十月七日まで日本経済新聞に『私の履歴書』を連載。翌49年九月『牛のあゆみ』として出版される。
49年(1973)
一月、奥村土牛素描展(銀座・松屋)開催され、近作素描18点出品。九月、奥村土牛の画室-近作素描-展(銀座・資生堂)が開催される。
51年(1976)
二月、アサヒグラフ別冊『奥村土牛』刊行される。
52年(1977)
五月、奥村土牛素描-中国古代青銅その他-展(銀座・吉井画廊)開催。素描24点出品。
53年(1978)
二月、東宮御所の『白樺』、四月、皇居新宮殿の『富士』の二作品が完成、それぞれ納められる。五月、日本美術院の理事長に就任。十一月、素描集『わが身辺抄』の刊行を記念して、奥村土牛素描展(日本橋・高島屋)開催。素描約40点を出品。
54年(1979)
三月、特別展・奥村土牛(山種美術館)開催され、作品70点、素描25点出品。六月、画集『奥村土牛』(文藝春秋)が刊行される。
55年(1980)
五月、奥村土牛自撰素描展(横浜・高島屋)開催され、素描46点出品。十月、東京都から名誉都民の称号を与えられる。
56年(1981)
二月、奥村土牛展(日本橋・三越)開催。六月、土牛絵付、浜田庄司・島岡達三作陶による土牛雅心会(横浜・高島屋)開催。約60点出品される。
57年(1982)
三月、奥村土牛の素描-巨匠と舞妓展(日本橋・高島屋)開催され、近作素描30点出品。十一月、盲腸炎のため虎の門病院に入院。翌春二月、全快。
58年(1983)
四月、奥村土牛-その人と芸術-展(岡山・天満屋)開催され、作品45点と素描を出品。
60年(1985)
九月、奥村土牛自撰素描展(横浜市民ギャラリー)開催され、素描90点と書、陶器出品。十月、奥村土牛展(西武百貨店有楽町アートフォーラム)開催され、作品48点出品。
61年(1986)
五月三日、NHKテレビで『奥村土牛・九十七歳のアトリエ』と題して近況が放映される。六月、書展(日本橋・壺中居)開催。九月、中央公論社より、奥村土牛書画集『白光』(限定版)刊行。
62年(1987)
二月、白寿記念奥村土牛展(山種美術館)開催。三月、白寿記念奥村土牛展(京都市美術館)開催。新作『山なみ』を含む作品88点、素描・下図29点出品。
63年(1988)
二月、白寿記念。天皇陛下より菊の御紋章入りの銀盃三ツ重ね、皇太子殿下より御所に咲いた紅白梅を賜る。九月、百歳記念奥村土牛展-山種美術館所蔵による-(豊橋市美術博物館)開催。作品53点、素描25点出品。
平成
元年(1989)
一月、NHK特集『百歳の富士-奥村土牛』が放映される。二月、百寿記念奥村土牛展(日本橋・三越)開催、作品74点出品。二月、日本放送出版協会より、愛蔵版『土牛素描』刊行される。
2年(1990)
二月、満百一歳になる。五月、長野県南佐久郡八千穂村に、『奥村土牛記念美術館』開館。素描151点、書5点を寄贈。九月、現代日本絵画巨匠二人展<奥村土牛と中川一政>(パリ市立カルナバレ美術館)開催。九月二十五日没。
3年(1991)
奥村土牛追想展(山種美術館)開催
11年(1999)
生誕110年記念 奥村土牛展(北海道立近代美術館)開催
31年(2019)
生誕130年記念 奥村土牛(山種美術館)開催